めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

女性研究者交流フォーラム

行ってきました。
面白かったけど長かった・・・。
そういえば去年のフォーラムのアンケートで
「民間側の意見や取り組みを聞きたい」
と書いた記憶がある私。
今回はその願いがかないました。
非常に有意義な基調講演とパネルディスカッションだったと思います。


パネルディスカッション時ずーっと考えていたのですが
確かに小学生になった時の壁ってあるんですよね。


しつこいようですが私はこの年代では珍しく、
両親共働き→ゼロ歳児保育→学童→カギっ子
という育ち方をしました。
ただ、母方の祖母は近くに住んでいたし、
母も朝は早いけど5時定時だし、
朝早い母に代って父は朝が遅かったし、
結構恵まれているんだなぁと今更ながら思います。


でも適応能力の低い私は、やっぱり小学校に上がった時
かなり大変だった記憶があります。
私の小学生時代は、保育園育ちは少なかったし
学童保育も今ほど多くなく、小学校から学童まで通うのに
子どもの足で20〜30分くらいかかりました。
しかも一緒に通っていた子にいじめられてたしね(苦笑)


そういう意味で、ケースバイケースだとは思うのですが
やっぱり小学校に上がってからも、というか小学校に上がるからこそ
時短勤務とかの支援はし続けてほしいな、と子どもの視点からも思います。
環境変わるから、子どもだって不安ですもん。
せめて4月いっぱいくらいは、ね。


ああ、でも声を大にしていいますよ。
共働きの両親に育てられて、保育園に預けられて、学童に行って
私は感謝しています。
当時、そういう子は珍しかったし、可哀そうとか親は色々言われただろうけど
私は幸せだったと思う。
祖母や叔母の愛情や、出会った幼馴染や、友達や
そういうつながりって、本当に今でも大切なものですからね。
ああいう育ち方をしたから今の私があるわけで、そこは誇っていいかなと。
ま、ああいう育ち方をしたからこんな私もあるわけで
色々直さないといけないこともあるわけなのですが(苦笑)


もしかしたら、支援制度を利用している女性の先生方は
「子ども、かわいそう?」と時々不安になるかもしれないけど
そうやって育った「子ども」側にしてみたら
そうやって育つことで得られた色々なつながりや体験って貴重だった、
だからこそ今の私がある、って思う事の方が大きかったりするから
大丈夫ですよ。
自身持って、ばりばり活躍していただきたいものです。
その活躍と、活躍しながらも惜しげなく注いだ愛情は
その時寂しい思いをすることがあっても
「自分のバックグラウンドに対する誇り」として、
しっかりインプットされているから。


そんなこと、コメントできたらしようかしら〜とか思っていたけど
時間切れ(苦笑)
そういえば、私を育てた苦労って母に聞いたことがないなぁ。
でもきっと、うちの母のことなので、私が子ども産んだら
きかなくてもべらべら話しそうです・・・。*1

*1:あくまで「産めたら」の話ですが。