めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

博士号と黒帯

 昔々、教養の日本語表現という授業で「何でもいいから1つのモノを中心とした文章を書け」という課題で、「黒帯」を選んだ私。実際その時すでに黒帯保持者だったのですが、黒帯って結局稽古を続けていればとれちゃうものなのですよ。特に大学の合気道なんて、ほぼ毎日稽古やってますから大抵1年半くらいで取れます。で、そこで満足しちゃう人もいて、黒帯とれて即やめちゃう人とかもいるんですが、本当はそうじゃないんですよ。

 黒帯しめてても思うんです。「こんなに何もできなくて、黒帯なんてしめてていいんだろうか?」って。確かに、初段をいただくことは重要な通過点の一つでしたが、それで終わりじゃなかった。どちらかというと、新たな苦しみというか修行の始まりだったように思います。黒帯を締めるために自分の帯をみて、「まだまだ足りない」と思っていた。

 今日、いつも聞いている朝のラジオで、書道家の人の師範免状の話と、福岡伸一さんが来た時に話していた博士号の話が出てきて、博士号も黒帯も似たようなものなんじゃないのかなとふと思いました。確かに黒帯も博士号も、自分自身が「とりたい」と思うものの目標の一つであったけど、通過してみたら「こんなので黒帯を締めていいんだろうか、博士を名乗っていいんだろうか。」っていう、新たな葛藤が生まれてくる。もちろん、アカデミアからは離れてしまいましたが、別にアカデミアで研究つづけることだけが博士ではないので、人間性やリーダーシップ、ビジネススキル、英語力、プレゼン力等々そういったものを含めて、博士って名乗っていいのかなあって。

 部活の伸び率と、大学院での伸び率が重なるから、そんな風に思うんですかね。どちらも、最初はだめだめでした。最初は怒られてばっかりでした。最初は使い物にならないと思われていました。黒帯は部活の通過点であって博士号のように最終到達点ではありませんでしたが、どこまでも追及して終わりがないのは、合気道も研究(というかビジネスとか人間性も)も同じでしたね。