めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

37歳

 前に「最後通告は37歳」というエントリを書いた。37歳って“人生の再スタートができなくなる年齢”だよねという話だった。

 それは「将来が現在の延長線上にしか存在しなくなる」年齢だ。37歳まで“ぐーたら”だった人は“一生ぐーたら”だし、37歳まで平凡な会社員だった人がその後に一発当てるぜ!みたいなことは起こらない。37歳までに決断できなかった人は、一生決断できない。それは、“今の自分とは違う将来や夢”を語ってもよい最後の年齢なのだ。

まだいける、と思ってた?―Chikirinの日記

 まだ、10年ありますが、あと10年しかありません。最近色々と思うことあって、焦りといえば焦りがあります。学部を卒業してすぐ働き始めた人に比べれば5年のブランクがありますからね。

 ひとの歩む道というのは、年々狭まってきますが、私は狭めたくない。年をとるにつれて、可能性の幅が狭くなってきますが、私は狭めたくない。分野が違う今の会社に就職できたのは、可能性の幅がまた広がったと信じたい。この年になって自分の得意分野は多少見えてきたのですが、それを束ねて何か仕事があるかというと、何になるんでしょうねえ。今の仕事なんだろうか。

 37歳になった時、私は何をしているんだろうか。どんな仕事をしているんだろうか。どんな人たちと一緒に働いているんだろうか。どんな立場で仕事をしているんだろうか。あ、ちなみにですが、ここに結婚や出産が入っても、キャリアを中断させるという選択肢は私には全くありません。だって、身近な女性陣で、結婚して子どもを産んでキャリアを中断したって事例がほぼないんだもの。子ども産んで1日中家の中で子どもと一緒に過ごすって想像ができません。別に専業主婦(夫)自体は立派だと思うし否定するわけではありませんけど、自分の選択肢として想像ができない。

 仕事といえば、私は好きなことより得意なことを仕事にしたいなあ、と常々思います。このあたりは個人の価値観だと思いますが、好きなことを仕事にするのは私には重い。好きなことを嫌いになりたくないから。

 好きだから頑張れる、という人はそれでいいと思います。好きで頑張っても頑張ってもうまくいかないことがわかったら、私は続けられる自信はありません。むしろ、好きなことを嫌いになってしまうかもしれない。その、「好きなことを嫌いになる」ことが、私は怖いんだと思う。そういや何かを続ける私のモチベーションって、いつも「面白い」とか「興味がある」とか「やってみたら自分でもできた」とか「自分のためになる」とか、好きとかそういうのとは別次元だなあ。

 うろ覚えですが、銀色夏生の詩に「輝く人が自分の手に入らないのなら、遠くで1人輝き続けてほしい。」というような一節があったのを思い出します。高校生の頃、この詩を読んで泣きました*1。昔からというわけではないですが、最近というかここ数年?の傾向は人に対しても、仕事やその他色々なことやものに対しても、「好きなものはずっと好きでいたいから、手放す」なのかなーって思います。好きなものが手に入っても、大事にし過ぎて死蔵させてしまうことが多かったりするからかもしれません。

 ともかく、37歳を目指して、というよりはこれからの自分のキャリアをちゃんと描きながら、資格の取得や語学習得等のスキルアップをできる限り今のうちから考えて色々やっていかないとなーと思う今日この頃です。ま、人生思い通りになんていかないんですけどね。

*1:その割に題名や収録文庫本を思い出せませんが・・・