めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

ひろがれ「弁当の日」in東北

 昨年はいけなかったので、今年は満を持して行ってきました。・・・が・・・用事が入り、あえなく途中退席。ちなみに昨年はうちのラボが主催する学会で今年司会やった先生が講演に来てくださいました。

 そのときのスライドと、今日の講演のスライドが同じだったのですが・・・やはり涙がひとすじ・・・。

 まあ、お弁当で全てが解決するかというと疑問だし、摂食障害と食事の関連とか、疫学的なエビデンスを待ちたいところではあるのですが、でも、食生活の乱れは良くないですよね。・・・と出てきた若者のご飯に笑えない、とある若者がぼやいてみます。作り続ければ確かに経済的だし、健康的な食生活を遅れるんだけど、やっぱり”誰か”のために作るってことがないので、それが最近自炊していない理由かも。やっぱり「美味しい」って言われることって原動力だと思うし。あ、だから私がこのブログにレシピのせたらコメント頂けると嬉しいですww(←宣伝w)。

 私は、父も母も働いていて、随分寂しい思いもしたけれど、両親と支えてくれた親戚達のお陰で、立派に育ちました。母の奇想天外な料理(例:ばなな餃子、納豆餃子、かぼちゃの煮つけinおにぎり)には文句を言ったけど、でも、それは言わせてくれよ。。。これはちょっと、ないよ・・・。

 でも、塾に行くときはお金ではなくお弁当を用意してくれました*1。父が作る玉ねぎ入りの甘い豚汁も美味しかった。祖母のてんぷらは今でも帰ったら必ず食べるご馳走です。寂しさを感じたことはあったけど、それは「家に帰った時に誰もいない」って寂しさであって、自分がいらない子だとは感じたことはなかった。両親の犠牲になってるとはこれっぽっちも思わなかった。今考えてみると、幸せな子ども時代だったんだな、と改めて思います。確かに惣菜買ってきても、ちゃんとお皿に移し変えていたなあ、母。食事って大切ですね。

 校長先生が写したあの写真のなかで子ども達の顔は輝いていました。去年も見たけど、あのうらやましそうに見ていた小学校1年生が5年生になったときのあの生長した顔。自分のお弁当を広げる嬉しそうな顔、顔・・・。赴任した中学校で「中学生にお弁当の日は無理だろう」と思ったけど、やった成果があの笑顔。諦めていちゃだめだ、の声にはっとさせられました。

 ちなみにそんな私は、親知らずの手術跡が痛み、ろくにご飯が食べられない日々を送っています。まさに、あの若者のご飯です。少しは自炊を復活させないとな。自炊を頑張っていた日々は遠い昔のように思えます。

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 ・・・・佐藤先生、痩せた??なんか服のせいもあるのか去年より若々しかったぞ。

*1:私、チキンだったから一人で買い物とかなかなかいけなかったんですよねー