めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

John Lennon Museum

 今月で閉館と聞いて慌てて行ってきました。HPはこちら。写真は後ほど。現在は「ジョンとヨーコ 新たなる出発 “STARTING OVER”」という最後の特別展が行われています。

 さて、私の出身高校は変わった高校で、高校なのに任意の卒論がありました。何でもいいから自分の興味のあることを3年間調べ、最後にまとめてレポート?論文?として提出するというもの。なんの因果かビートルズローリング・ストーンズを選択し、まとめあげ、その学年の優秀作品にまで選ばれてしまったのが、実は博士まで進むきっかけになった体験、だと思う。

 そんなわけで、「これは行かねばならない!」と行ってきました。最初に導入の映像があって、それからひたすらジョンの軌跡と最終的にはジョンとヨーコの世界が広がっていくわけですが、導入映像だけで泣きそうになった自分がいました。最後はなんか、ヨーコワールドって感じなのですが、「あージョンはヨーコのことが本当にだいすきだったんだなあ」と思わずにはいられない。

 なぜ高校の卒論もどきがビートルズローリング・ストーンズだったかといえば、ジョン・レノンが凶弾に倒れたって時々見かけるけど、「凶弾」ってどういう意味よ?ってなだけです。それがジョン単独でもビートルズ単独でもなくストーンズと組み合わせた理由は、単にアーティストやグループの軌跡だけならつまらないでしょ、ってな理由です。割と単純な理由でそこまで突っ走れた高校時代の自分あっぱれだと思います。ああ、でもなぜか中学時代に狂ったようにビートルズカーペンターズを聞いていたんだっけなあ。なんでだったんだろう、あのこだわりは。

 私はビートルズ世代でもなんでもないので、自分の体験=ジョンやビートルズのあゆみ、ではもちろんありません。それでも、久しぶりにどっぷりとジョンとヨーコとビートルズの世界につかり、あの中学生・高校生時代の青臭ーい自分のことが思い出されて結構泣けました。高校時代短期語学留学でロンドン近郊に行ったときホストファミリーに頼み込んでアビー・ロード行ったこととか、Real Loveで復活してビートルズ特番が組まれた時のこととか、ジョージが亡くなった時の事とか、リンダが亡くなってその後すぐポールが再婚しちゃったり、動物愛護に関わると必ず出てくるのがポールのことだったり、軽井沢の万平ホテルの脇を家族で車で通った時のことだったり、オノ・ヨーコ展に行って「ああ、この人はジョンの妻っていうかその前に芸術家なんだよな」と思った時のことだったり。ちょっとした自分の記憶と共に、ビートルズや、ジョンがある。

 私は、生きているジョンと同じ空気を吸ったことがないんですが、必ずニューヨークのダコタハウスとセントラルパークにはいかないとね。リバプールにもいかないとね。

 ちなみに、優秀作品への賞品は英英辞典で、ただでさえ荷物の多い卒業式に更に重い荷物を増やしてくれて泣けてきました。その英英辞典は、今職場の自分のキャビネットに鎮座しております。