めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

震災から25日、ようやく泣けました

 被災直後は見知らぬ人と指定避難所で一夜を過ごし、その後も見知らぬ人と避難所で5日ほど生活し、その後友人宅で3〜4人(←日によって違う)ほどと2週間ほど過ごし、ようやく先週末から自宅に戻っています。職場もほぼ通常通りに戻りました。まだ余震があって怖いし夜遅くまで残る人はいませんが、もともと残業とかあんまりしない職場なので、そういうものでしょう。

 振り返れば、ボスは東京出張中で帰ってくるまで部署の陣頭指揮を取り、避難所では若い学生が多いから疲れないかと気をもみ、自慢の(!?)通る声を活かして「ご飯できましたよー」とか叫びまくり、その後は友人宅にお邪魔するという普段「ひとりだいすき」から考えられないような生活をしていました。まあ非常時だしね。

 確かに、”誰か”といることは、余震があったときに安心するのですが、感情を吐き出すという意味では、気を使って「涙を流す」ということは、震災後全くと言っていいほど有りませんでした。まー正直、電気もガスも水道もない中、ボスの留守を預かるのは相当無理をしていたし、同僚には若い子も外国人(現在帰国中)もいたし、寝に帰るのは知らない人が多い場所だし、余震は信じられないくらい多いし、そもそも復旧作業に行く職場は高層階で怖いし、でも復旧せにゃいかんし、泣く暇もないですよね。

 自分のメンタルが弱いことは分かっていたので、震災の映像も見ないようにしていましたし。

 それが、甲子園の選手宣誓見て「うわー」っと来たわけです。

 私の周りでは震災後、うんち・おならに原発を例えるってやつに過剰反応して震災1週間後位から参加MLのひとつが大荒れするわ、原発関連で他のMLも数日前まで大荒れだわ、親戚は原発に気をつけろ!!心配にまぎれて疲れる電話をよこすわ*1もうなんつーか、非被災地の原発パニックで精神的に疲れていました。泣く暇もなく、非被災地の訳の解らんパニックに巻き込まれて疲弊された感が、強かった。特に震災1週間後のうんちおなら論争は、議論が変な方向に行って「被災者ですけどどーでもいいです、今の議論。」とぶちかましたぐらい腹立たしかった。なんでこんなにヒステリックに騒ぐんだろう、もっと大事なこと(行方不明者の捜索、沿岸地域の状況、余震などなど)あるでしょう?と本当に腹立たしかったし、盛り上がっていく議論がやるせなかった。あなたたちの、原発事故に対して「何も出来ない」という焦りを単に解消したいだけなんじゃないの、そう思っていました。

 でも、震災直後がゼロで、どれだけマイナスになるか怯えたあの一晩から徐々によくなるしかない私がいる恵まれた状況の被災地と、被害はまぬがれたのに原発事故のおかげで徐々に悪くなるしかない非被災地と、確かに流れる空気は違うような、と今ではちょっと納得しています。まあ「首都圏が冷静になってくれないでどうするの・・・」とは今でも思いますが、なんで冷静になれないかはちょっとわかった気がします。

 自分が思っているほど自分が被災地や被災者のためにできることって実はそんなに多くなくて、焦ることも多いけど、いつかは呼ばれるから。その時のためにちゃんと元気やらエネルギーやら蓄えておきたいと思います。ちゃんと泣けたから、あんまり原発問題で荒れる界隈の話を見ても、もう揺り動かされたりしないかな、やるせない負の感情に囚われて仕事が手に付かなくなったりすることは少なくなるかな、と思います。

 恵まれた状況の被災者の私でさえ、ここまで疲弊するんだから、沿岸部や被害のひどかった地域、最前線で頑張っている自衛隊原発関係の方、各自治体の職員、医療スタッフには本当に頭が下がります。でも私がそこにいって何かできることはないので、自分にできる支援をしたいと思います。

*1:いや、心配していただけるのはありがたいのですが・・・もちろん・・・