めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

まだまだ被災中〜でも・・・?

 ようやく落ち着いてきました。いや、まだ余震は怖いんですけど、まあ前よりは普通に過ごしています。大きめの斜めがけバックも手に入れ、貴重品、懐中電灯、ホイッスル、0.5Lのペットボトル入りの水、キッ●カット、銀シート、携帯充電器(電池式)、常備薬を詰め込み、毎日元気に職場に通っています。あとは小さめのラジオがほしいところ・・・。いや、まあ重いんですけど、だって、ひとりでいる時にM8の余震が来たらやっぱりこれくらいないとパニックだと思う。

 そして今日は近くの不動産屋に「新しいマンション探してください!」と頼んできました。今の自宅は立地も広さも申し分ないのですが、少々古いこと、マンションの割に壁が薄く音漏れが当初より気になっていたこと、震災中の大家の対応があまりよろしくないことから、これを機に引っ越そうかと思います。

 職場の方も、地震で中止になったプロジェクトの代わりに、新たにプロジェクトが立ち上がるので忙しく過ごしています。うちのボスは、「この地震もある種の運命なんだと思う」と腹をくくったので、色々動くのかもしれません。私は雇われの身ですから従うまでです。

 経済回すために、東北にお金を落とすために遊びに来てね!とは当初言っていましたが、最近は余震のこともあってあまり安易に勧められないなあと思うのです。いや来ていただいて色々落としていってもらうほうがいいのですが、のほほーんと来て突然余震があったりしたときの備えって、こっちにいる人と旅行者とじゃ全然違うじゃないですか・・・。被災しても責任持てないなあと思うのです。

 あと、ボランティアも本当にありがたいのですが、のほほーんとこられても迷惑なだけだし、少数ではあるものの目立ってしまうためか自説を主張してひっかきまわしていく方のお話もちらほらと・・・。だったらその分の旅費をお金で寄付してくれたほうがよっぽどいいよ、と言う人も周りには結構います。いや、全部が全部そういうかたではないのですが、やはりそういう方を見てしまうと、ね。今回の震災は、神戸の時とも、新潟の時とも違います。行政機能も麻痺しているので、コントロールが取れない。そこに善意の押し付けがあると、そのコントロールだけで手一杯になってしまう。行政が本来の機能を果たすこともできない事例も聞きます。もちろん皆さん「被災者の方の役に立ちたい」と善意でいらしているので、ありがたいのですが、ありがたいだけに・・・。

 2011年3月11日の、震災前と震災後で本当にすべてが変わってしまいました。1度だけの地震ならまだしも、4月7日の最大余震、その後も福島やいわきで続く大きな地震。いつなんどき何があるか、本当にわからないんだなと思います。確かに日常はそこにあって、やらなければいけない仕事も締切も、ご飯を作って食べて、お風呂に入って、寝るという生活も、あるにはあるのですが、その「普通の」生活が一瞬にして消えてしまうという現実も、体験しました。大きな余震があれば、見ていたテレビも切り替わる。もしかしたら余震で明日、電気がつかないかもしれない。今まで当たり前だった、その日の予定を実行することさえも、今は困難になるかもしれない。今までなんて便利な生活をしていたんだろう。

 友達が「あんな事あると、人生考えちゃうよ。確実なことなんてないから、やっぱりやりたいことはやることにした。」と目標に向かって頑張っています。また別の知人は「高校生の時、『竜馬がゆく』を読んで明治維新という時代になぜ生まれなかったのか、自分だったらその時どうしていたのか考えていた。この震災は明治維新、太平洋戦争以来の日本という国を変革させる出来事だと思います。そのような時代に自分がいることに奇跡を感じています。明治維新で晴らせなかった想いを今ここで晴らせと言っているのだと思います。」そう言って、走りまわっています。この震災で何か一儲けしようと群がる人に嫌な思いをさせられながらも、頑張る人たちがたくさんいます。余震のたびに心拍数が上がり、「ひとりで生きて行く」という決意が鈍りそうになりながら、ぶるぶる震えている私の周りで、こんなに頑張る人達がいるのはとてもとても心強い。私も強くならねばと思います。