めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

半年が経ちました。

 私は、2011年3月11日を、生きている限り忘れないでしょう。各地からの温かい支援も、政治の迷走も、起こった数々のことも。被災してみてわかることが、本当にたくさんあります。黙とうするだけで、泣けて来ることなんてそうそうないでしょう。

 東日本大震災から半年が経ちました。

 この半年、避難所ぐらしをしたり、年度前後で異動する友人知人を見送ったり、仕事で被災地にいったり、自分自身も引っ越したり、仕事が増えたり、30歳になったりと自分自身の周りも色々ありました。

 私自身が、この半年にしてきたことが、被災地にとっても自分自身のこれからにとってもどんな意味を持つのか、まだ見えません。それでも、震災直後から自分自身の精神状態を見つめて、前線で頑張る人の後方支援をしよう、私は前線に行くべきではない、今この場所にとどまってすべきことがある、その判断は正しかったと思っています。火事場の馬鹿力を出したのは、避難所にいた1週間でした。最大余震のあった4月は自分の精神状態と体調が悪くて、被災地に乗り込む人が多い中、余震に怯えながら仕事に手をつけるのが精一杯でした。もし、4月に被災地入りをして、頑張ってしまっていたら今頃も悪夢にうなされ仕事どころではなかったでしょう。今、あの4月の不眠と精神的な不安定さからなんとか脱し、それなりにばりばり仕事をしている自分を思うと、やはり自分の判断は正しかった。

 それでも時々思うことがあります。半年の節目として、震災直後から今までの映像を目にする時、沿岸部に行く時、私にはもっと出来ることがあったのではないか、もっと初期にすべきことがあったのではないか。もっと言えば、震災前からもっと出来ることがあったのではないか、とも。でもそれは、考えても仕方のないことです。実際に震災が起きてしまい、このような状況になっている今、過去を後悔するのではなく、その後悔を生かして前に進んでいくしかない。

 こんな節目に、沿岸のとある離島にいったのも何かの縁かもしれませんね。島のペンションから見た夕日は綺麗でした。まるで震災なんてなかったみたいに。眼下には、地盤沈下で姿を変えた港や砂浜、津波被害にあった住居が見えましたが。あっという間といえばあっという間の半年でした。でもここまで来るのに長かったようにも思います。度々ある余震。一向に収まらない原発問題、コロコロ変わる大臣たち、前の見えない被災地もある。でも批判だけなら誰でもできますし、批判するのは簡単なことです。いくら批判したって、やれることを確実にやっていくしかない。前に進んでいくしかない。

 これからの半年が、被災地にとって、日本にとって、確実に新しく一歩が踏み出せる、実りある半年になることを願ってやみません。

携帯百景(ケイタイヒャッケイ)