めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

東京大学応援部物語(再読)

以下、Facebookのものを転載。

一部の方はすでにご存知かと思われますが、私、大学学部時代、応援団の追っかけをやっておりました。とはいえ、野球シーズンは毎週神宮に通い、六大学応援団の集いである、六旗の集いに参加し、母校の応援団の集いである集いに参加し、自分が部活の幹部になったらお立ち台に上がるためにせっせと神宮の幹部席に通い、金沢旅行の際には大好きな団長の実家でしこたま和菓子を買ってきましたって程度ですが。追っかけを名乗るにしてはたいしたことないです。

で、なぜこんなずきゅーんと応援団にはまったかといえば、公私共々色々あり色々大変だった時期に、友人に誘われた神宮で、ただひたすら応援する応援団を見て感動してしまったというそれだけです。

で、はまりまくること約3年(ずきゅーんと胸打たれたのは1年後期の最終戦でした)。一度も優勝を見ることなく終わりましたが、私は校歌、応援歌、第二応援歌、学生歌をものの見事に覚え、母校を卒業しました。今でも大学関係者の着メロはどこも限定ですが、第一応援歌と校歌です。

あの時、私が無邪気にきゃいきゃい騒ぐその裏で、こんなことが繰り広げられていたんだと知ったのは卒業してから、この本を読んでから。

私が常日頃言っている、恩を返すとは、世話になった恩師や先輩方に返すのではなく、自分がされて良かったことを後輩にすることで返すこともできるんだと、意識しはじめたのはこの本を読んで、私が大好きだった、母校の団長の言葉を読んでから。

母校のリーダー部は色々あってなくなってしまったし、応援団の全てを礼賛するつもりはないし、批判すべき点はあれど、でもやっぱり、彼らにすこーしだけ接したあの3年間は、私にとってとても貴重だったし、青春でした、間違いなく。

体育会系の体質にはたくさん批判はあるし、自分も嫌な思いをしたことは何度もあるし、うちは元来そういうことが嫌いな家系だったのですが、入ってみて4年間続けてみて見えてきたこと、成長できたことってたくさんありました。20歳そこそこって可能性が今よりあるけど、結局10年たっても似たような役割してます。私は出身部活で40代目だったのですが、40年目にして女子初の新人監督だとか、主務だとか、封建的すぎてびっくらこく世界で何度も泣いたし悔しい思いもしたけど、でもあれがなかったら本当に今の自分はなかった。ぶつくさ文句いって泣きながら書いたOBへのお礼状(今時手書きで万年筆で修正ペン使用不可!)ですが、あれがなかったら書類発送時にカバーレターつけるとか、季語がいるとか、そういうことできなかったと思う。泣きながら行事準備して、先輩に怒られ後輩に指示を出し、文句が出たりでイライラし、勝手に指示出しする同期に爆発したりしたけれど、あれがなかったら今の仕事とかできてません。世の中わかんないもんです。

高くなった秋の空の下、得点入って大喜びして、お立ち台の上で校歌を大声で歌いながら見上げた神宮学生席の、あの感動は、多分一生忘れないと思う。

ちなみに、文庫版よりも写真が入っているハードの方がオススメです。私はもちろん両方持ってます。

4087811530東京大学応援部物語
最相 葉月
集英社 2003-09-05

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