めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

幸せのカタチ

 最近、周囲が結婚ラッシュなのと、結構な割合で結婚して子ども産むことが幸せ、っていう価値観を持つ人と接する*1ことがあるので、ちょっとだけ。あ、別に子ども産むなとか結婚するなとかそういうことでもないです。出生率を上げようとか男女共同参画とか女性の社会参加がどうとか、そういう話でもないような・・・。

 そもそも、幸せのカタチって人それぞれだと思うんですよ。

 世の中には結婚して子どもを産むことを選んだ人たちもいれば、そうじゃない選択をした人たちもいて、望んでも結婚することが出来なかった人、望んでも子どもに恵まれなかった人、色々いると思うんですよ。その人たちが不幸かといわれればそれは違う。幸せに生きている人も、人から恵まれてると羨まれるような状況でも不幸だと感じている人もいる。

 っていうかそもそも「普通の幸せ」ってなんでしょう?

 そんなに自分の生育環境を特別視することもないと思うんですけど、私はどうやら世間一般で言う、変わった生育環境にあったようです。本人はその真っ只中にいたので自分は普通だと思っていたし、少なくとも普通に幸せだと思っているし、何よりも両親をはじめとする周りの人たちに本当に感謝しているので、世間一般で言う幸せって何さ?って思います。両親も幸せにやっているし*2

 私の両親は32歳で結婚しました。30年程前の話だから、当時は相当晩婚でしょう。しかもそんな晩婚、いき遅れもいいところの母が選んだ相手は、32歳にして学生・・・。当時高卒で勤続14年とはいえ、我が母ながら見上げた根性です。つか、普通の感覚だったら選ばないぞ。その後私が生まれるわけですが、父は私が小学校に入学するまでアルバイトや非常勤で職をつないでいたので、私の育児はもっぱら母方の祖母と父でした。父が私の離乳食のためにレバーをすりつぶして四苦八苦しながら食べさせたんだという笑い話は今でも祖母の語り草です。その後弟が生まれた頃、父はようやく常勤の職に就きました。母はそのまま働き続け、私が高校へ入学する頃「勤続30年でもらえる記念の壷なんていらないわ」という母らしい理由で退職しました。その後は「早く年金もらえないかしら」を口癖に、専業主婦をやり、最近念願の年金をゲットしました。ちなみに父は定年がまだ先なので、働いておりまする。

 まー「3歳児まで母親がそばに!」とか思っている方にとっては、0歳で保育園に預けられ、父に育てられたので父になつきすぎて母を悲しませ、更に小学校入学後は学童まで行き、その後は鍵っ子生活が長かった私なんぞ、「かわいそう!!」の嵐かと思います。「父親が世帯主じゃないなんてなんて環境なんだ!」って思う人もいたと思います。でもね、私は普通に幸せでしたよ、ホントに。父からも母からも、決してないがしろにされなかったし、大事にされて育てられました。学童でいじめられたりもしたし、帰ってきて家に誰もいないのは寂しいと思ったこともあったけど、保育園も楽しかったし、学童も保育園時代の友達がいたのでいじめっ子とのこと以外は楽しかったし、友人に恵まれたし、塾に行く前の夕飯は母がちゃんとお弁当を作っておいて行ってくれていました。お金を渡されるんじゃなく、お弁当。大事にされてるんだと思いましたよ。

 母も、当時からしたらありえない夫の人選ですが*3それでも不幸そうだったかというとそうでもなくて、何よりそんな人と結婚することを選んだんだだけに覚悟はしていたんだと思います。仕事は大変そうだったし色々としがらみや苦労もあったんだろうけど、離婚も考えたことがあったのよといいながら離婚もせず*4、色々愚痴りながらも父の面倒を見、趣味をよりいっそう充実させています。父も自分勝手に生きていますが、あの母がいなかったらそもそも今の父はないし、仕事は大変そうだけど、やりがいある仕事みたいだし、後輩とかに還暦祝ってもらったりして幸せそうです。これで父が退職したときが怖いですが、まあ何だかんだ言ってうまくやっていくような気がします・・・。目下の心配事は娘と更にどうしようもない息子だろうな・・・。

 おばの1人も、結婚せず独身でいますが、趣味も充実させ、仕事はぼちぼち・・・ですが節約生活を楽しみ、昔の教え子から時々来る近況報告に顔をほころばせ、不幸だとは思えない。おば自身が乗り越えてきたものは、私の想像にも及ばないことの繰り返しなのかもしれませんけどね。でも少なくとも一緒にいた約30年間、おばは楽しそうに生活していました。

 私の育った環境はあくまでレアケースで、他にも色々なケースがあると思うし、それを周りに押し付けることはしないし、しちゃいけませんが、それでも、人それぞれでいいと思うんです。もちろん、いわゆるモデルケースのような幸せもあると思いますよ?でもそれだけじゃない。絶対に。

 「幸せはじぶんのこころがきめる」と相田みつをは言いましたが、まさにその通りで、自分の想像もつかない環境で生きていこうとする人/生きている人/生きてきた人に対して、自分の幸せのカタチを、押し付けないで欲しなあと思う今日この頃です。その人が幸せだと思うカタチはそれぞれなので、その人は自分がその幸せのカタチを追求すればいいんだと思う。ただ、それを幸せのカタチは別にあると思ってる人に押し付けちゃいいけませんよ。

 まー私のこのエントリーも幸せのカタチは人それぞれだっていう、自分の意見の押し付けなのかもしれませんし、人生結局死ぬ間際に幸せは決まると思うので、いつ何が幸せかなんて結局のところかわかりませんけどね。

*1:なんか無意識にそういう価値観をビシビシ感じる人が結構いる。考えすぎ?

*2:少なくとも私にはそう見える

*3:まあ今でもありえないな・・・

*4:数年前にカミングアウトされ、まさに寝耳に水でした。