めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

終戦の日

 私の祖父は、フィリピンで戦っていたそうだ。部隊のほとんどが戦死したというルソン島にいっていたらしい。らしいというのは、祖父が、祖母にも娘である母にも、戦争のことは語らなかったから。だからもちろん、孫の私も聞いたことがない。帰ってきてからの祖父は、人が変わってしまった、とよく祖母が言っていた。祖父は弱い人だったかもしれなくて、だから帰ってきてから変わってしまったのかもしれないけど、でもそれって人間として普通なんじゃないかなあと思う。

 小学校だか学童だかで「ひろしまのピカ」という絵本の読み聞かせをされて、その後1週間くらい眠りが浅くなったり怖い夢を見たりご飯が喉を通らなかったりした。まあ「ひろしまのピカ」は絵本なので子ども向けだと思って先生も読んだのだろうけど、私にはダメでした。未だにあの絵本は開けないと思う。

 私は、竹橋の東京近代美術館が大好きで、特別展に行けば必ず常設展も覗く。でも、あそこの常設展に飾ってある、戦争画は未だに直視できない。通るとき、怖い。怖くて怖くて仕方がない。美術館には必ずひとりで行くけれど、あそこだけは、誰かに隣にいて欲しいと思うことも、ある。だから未だに、NHKがこの時期にやる戦争ドキュメンタリーは見ることができない。確かに戦争教育というか歴史教育?も、大事なんだけど、でも、感受性の強い幼少期にがっつりショックを与えられた身としては、もうちょっとなんとかならないかと思う。戦争が絡むと、深層心理で避けたくなる自分がいる。特に画像と映像。

 祖父がなくなって、もう15年近くが経ちます。私は、祖父に戦争体験を聞いたほうが良かったんでしょうか。時々、終戦の日とか広島や長崎の原爆の日になるたびに自問自答するけれど、やっぱり人格まで変わってしまった祖父のことを考えると、ひとり黙って体力の続く限りフィリピンに慰霊旅行に行ってた祖父を思うと、きかなくて正解なんじゃないだろうかと、思う。夏休みの宿題とかに、身近な人の戦争体験を聞きましょうなんていうレポートが出なくてよかった。

 今日は65回目の終戦の日です。今もどこかで戦争があって、今もどこかで誰かがなくなっていることを考えると、自分は何やってるんだろうなあと思う。こんな平和な世界に生まれて、何やってるんだよ、と思う。数カ月前に、バス待ちの途中で「戦争の体験談を語るわ」読んで思ったことと同じなんですけどね・・・。さっき、英語のネットラジオ流していたら、ジョン・レノンのImagineが流れてきて、多分戦争がない世界なんて本当にimagineでしかないんだろうなと思いながらも、いっちょエントリ書いてみるかとこんなつらつらと結論のないエントリになってしまいました。

4338022019ひろしまのピカ (記録のえほん 1)
丸木 俊
小峰書店 1980-06

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