めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

卒後15年

以下ちょっと自分がたりです。

毎年毎年、所属していた学部時代の部活の幹部交代挨拶があると、返信を送っている律儀な私です。「この季節が今年も来たのか」という感慨深さと、「あの時つらいこともたくさんあったけど、結構役立ってるんだよなあ」と思う老婆心と、「頑張ってほしいなあ」という素直な感情が入り混じる、なんともいえない思いを抱えながら。

 信じられないことですが、私の所属していた部活が武道系ということもあって、私が在学した2000年代初頭であっても、「主将・主務・副将の三役は女子部員はなれない」という不文律みたいなものがありました。それは、三役は他の幹部に比べて、率先して町道場の稽古に行かないといけないとか、師範や監督が率先してその3人を稽古で投げるという体力的な問題があったのもあるのですが、まあ「女子部員しかいないならまだしも、男子部員がいるなら三役は全部男子」というのがその頃の常識だったんですよね。

 結果的に、10人の男子をけちらして、私が主務になるわけなんですけどー。

 それから10年以上たって、普通に三役に女子部員が入るようになりました。私が主務になった12年後には女性の主将もでた。ああ、時代は変わったと思うとともに、ぶっ壊せてよかった、と思ってる。あの時私がならなかったら、あと何年女性三役は出なかったんだろう(ちなみにその後私の3つ下までは全部三役男)。

 そもそもこの主務という役職、色々ある季節行事の手配、それに付随して生じるお仕事の割り振り、新入部員や下級生の監督、とまあ要するにプロジェクトマネージャーみたいなものだったんですよね。そしてこの主務になるには、新入生の監督をする「新人監督(=新監)」を経ていることが第一条件だったわけですが、先輩たち、何の因果か、私を新監にしちゃってたんですよねー。そもそも私らの代は男10、女5(のち3)という当時珍しい大所帯で、普通であれば新監がせいぜい2名なところを、飲み役1名(男子部員)、実質指導役2名(私+男子部員)という3名構成にしたため、もれなくはいっちゃったわけですよ。そこで主務が誰になるか選抜されていくわけですが、まー他がどうしようもないよね、ってことで選抜されて主務になった、と。主将副将は本当に本来投げられる役目だから体力必要だから、三役で女がやるなら主務じゃね?という周りの納得と、「smorkyなら、まあそうだよね、いいんじゃない?」とそれまでの働きぶりを認められたのと、でなった時は謎のプレッシャーでやたら頑張ったのが災いして、2か月くらいでけがして稽古中断しましたけどね(笑)。10人けちらして主務になったっていうか、まーその前の先輩たちの先見の明?があったといいうのか・・・・。

 「伝統が」とか死ぬほど理不尽なこともあったし、当時、特に指名されてなった新監なんて「なんで私が」と思うことばかりだし、先輩や後輩の人間関係に悩まされたり、授業やゼミの両立に悩んだりと色々あったけど、今となってはああ、あれも今の自分が自分であるために必要な時間だったんだな、と思います。そして、「めんどくせー」と思ってやっていたお礼状書きがなかったら、時候の挨拶なんて気にする習慣はなかったと思う。すらすらと、堅い文章が書けることもなかったと思う。

 そして、何よりうれしいのは、「先輩の主務ノートがまだ残ってます」「主務ノート拝見してあってみたいと思ってました」とか、(うそでも)いってくれる後輩の存在です。私自身は母校と今の職場のある地方が全然違うから、行くことはもうないと思うけど、そういわれちゃうと嬉しいですよね。自分たちがいたころの先輩たちの主務ノートなんて一切なくて、それじゃ全然仕事の概要つかめないよ!って書きだした主務ノートでしたが、その後主務ノートは代々主務が書いているみたいで、いいのか悪いのか知らんが、少なくとも仕事の把握と引継ぎにはなってよかったんじゃないかなって思います。私のノートは「これは自分の思い出でもあるからいらなくなったら送り返してほしい」と表紙に書いておいたにもかかわらず、本体はどっかいって、コピーが残っている模様です。そうして、自分が受け継がれていくというのもこそばゆいけど、なんだかうれしいですね、

 いつか、合宿にいけるくらいの体力くらい今から頑張ってつけますかね。

そして、10年前に書いたもっときもい自分がたりを見つけてしまったw

smorky.hatenablog.com