めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

雑用は雑用で終わらせない

最近雑用が多いなぁと思ってしまう私がいますが、
まだまだ未熟者ですね。


うちの上司は明らかに雑用と思われたデータ整理を
なんと英文ジャーナル、しかもその分野では有名なジャーナルに投稿し
見事アクセプトされてしまっているんですよね。
普通であれば報告書で終了、だと思います。
それを、上司は見事IF6点くらいのジャーナルに載っけてしまったわけで。


そのときボスが言ったのは
「雑用は雑用で終わらせちゃだめなんだよ」
という一言でした。


そうなんです。
「後輩の面倒見るなんて面倒くさい、その分自分の研究やりたい」
「飲み会の幹事なんて面倒くさい、その分論文書きたい」
「人の論文の査読依頼なんて面倒くさい、その分自分の論文構想練りたい」
「膨大な量のデータ整理と基本プログラム作成なんて面倒くさい、その分自分の作りたい」
「小さいセミナーの講演依頼なんて面倒くさい、その分論文にまとめたい」
「飲み会参加なんて面倒くさい、その分解析したい」


・・・・。
そりゃ、キャパぎりぎりで突っ走ってれば私だって思いますよ。
全部投げ出して自分の研究に集中できたらどれだけ論文が量産できるか。
でも、後輩指導は自分が共著者となって業績として返ってくるし、
飲み会の幹事をいい形でこなせば、ボスや秘書さんや周りの評価は上がるし
一般的な自分と同世代の社会人が持つ社会性も身につく。
査読面倒だけど、その分研究者としての実績は上がる。
データ整理もプログラムもほんとーーーーーーーーーーに面倒だし
間違えられないしすごいプレッシャーだけど、これも共著になって返ってくることも多い。
セミナーの講演スライドは、学位や学会のスライドにそのまま流用できるし
うまくいけば次のセミナー依頼だってくるかもしれない。
飲み会、時間拘束が結構あるけど研究のヒントになることもあるし出逢いも広がるし
普段話せないような上の先生方とも話す機会があって顔と名前を覚えてもらえる。


確かに、「今」みたら雑用は雑用でしかないかもしれないけど
自分の数年後、数十年後の人間性を考えてみたら、業績を考えてみたら
人とのつながりを考えてみたら、雑用なんて無いのかもしれません。
降ってくる研究以外の仕事を、全て「雑用」だと思ってこなしてたら発狂するけど
それなりにうまくこなすことで、上からの評価が上がればめっけもんだと思えませんか?
ま、使える人間だとわかると仕事量も増えてきたりするわけで、
「研究したいよー!!」という心の叫びも日々増大する可能性もあるわけですが
それらもうまく裁けるスキルを身につけることも、一つの自分の利益と言うことで。
まぁそれでも雑用は発生するわけですが、それをうまくこなしてこそ
それらを片付けながらも成果を発表してこそ、一流なのかもしれません。


そう言い聞かせる日々です(苦笑)。
研究以外の仕事で自分は人間的に成長していると思おう。
あーいい加減論文書かないと!!