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ひとりと1匹の生活記録。

産学連携―「中央研究所の時代」を超えて

4822243230産学連携―「中央研究所の時代」を超えて
西村 吉雄
日経BP社 2003-03

by G-Tools

産業・経済にとって研究開発とは何か
知とアントルプルヌールシップの新結合
中央研究所とリニア・モデルの時代
ITが「中央研究所の時代の終焉」を準備
タテからヨコへ―ネットワーク時代の産業構造
なぜ産学連携か
日本における産業技術開発体制と産学連携の推移
日本の産学連携―期待と現状の落差を超えて
科学優位主義とリニア・モデル
米国における産学連携の推移
トランジスタ半導体レーザーの場合
ネットワーク外部性と「この指とまれ」モデル
売家と唐様で書く三代目
大学人が発明した特許の帰属
イノベーション・システムにおける「官」の役割

 いや〜読みごたえがあって面白い本でした。最近の産学連携や知財関連は先輩から借りているものばかりなのですが、これはちょっと自分で買おうかな・・・。というわけで、色々とメモメモです。一部要約している部分は「(要約)」と付けてあります。今回、面白すぎてメモった文章が相当あるので・・・。

序章

  • 中央研究所の時代から産学連携への時代へ・・・新産業を生み出すのも、新しい雇用を創出するのも、大学であり、大学の仕事に基づくベンチャー企業であり、それを起こす企業家だ・・・この革命ともいえる改革を、伝統的な大学人の強い抵抗と社会的な摩擦を伴いながら進行したこの革命について、日本の産学官もマスコミも鈍感だった・・・・(要約)
  • 「私も例外ではない。なぜ鈍感だったのか、自省をこめて考え続けるつもりである。」
  • 大学革命の現象面の特徴3つ
  1. 自前主義から連携協力へ
  2. 大企業の組織的活動からアントルプルヌールシップ旺盛な個人の活動へ
  3. 企業研究所から大学へ

2章

  • 利潤を生みだすためには、「知」と「アントルプルヌールシップ」、この二つが必要でどちらか一方が書ければ利潤は生じない(要約)
  • 研究開発:未来と現在の価格体系の差異を「媒介」して企業が利潤をあげるためには、未来の価格体系を他社より先に知る「知」が必要だが、それだけでは不十分。未来という名の遠隔地の価値体系を、現在価値で成立している市場に「媒介」しなければならない。例:製品という形に未来の価値体系を具現化し、顧客が市場で帰る状態にする必要アリ→これを可能にするのがントルプルヌールシップ(要約)
  • 台湾:雰囲気はシリコン・バレーに近く、人材の交流も活発。マイクロエレクトロニクス産業については、大企業の時代・中央研究所の時代を経ることなく、産学官連携と企業家の時代を迎えている。(要約)

3章

  • リニアモデルの原形:「世界に通用する基礎的な科学研究を行え。そうすれば重要な新製品を見出すことができ、商品化して大きな利益を上げられるだろう。なぜならその商品を完全に独占できるからである」(デュポンのナイロンの成功から)
  • 基礎研究ただ乗り理論:リニア・モデルの産物である。技術を科学の応用と考えているから、優れた基礎研究のないところに優れた産業技術があるはずはない、こう考えるわけである。(要約)
  • バブル期の日本:批判に応え、企業も国立研究所も基礎研究を拡大強化→その応え方もリニア・モデルを根拠としていた(要約)
  • リニア・モデルには、矢印の上流ほど「えらい」とする価値観が潜んでいる。

4章

  • ソフトウエアはリニアモデルではなく、この指とまれモデル
  • 「アメリカの大企業がトランジスタからICへの移行に失敗した理由は、これらの企業に立派な研究所があり、研究開発は研究所、製造は事業部というようにはっきりした分業体制が確立していたためと思います。」(黒川、1996)
  • ソフトウェア産業:他社にも自社の成果を使わせながら、経済的収益を確保する→自前主義が無理になっていく理由の1つ。自社開発の技術と、他社から導入すべき技術、これを厳しく峻別。→コア・コンピタンスはしっかり確保する。しかし、製品を市場に投入するタイミングの遅れは許されない。同時にこれは、知的財産権に敏感にならざるを得ない背景の一つ。こうするには特許を始めとする知的財産を収入にすることが、手っ取り早い。(要約)
  • 100年前:「サービス業的な大企業+個人発明家」→「中央研究所の時代」が60〜70年→最近:「サービス業的な大企業+ベンチャー企業・大学」(要約)

6章

  • IBM社の研究所長経験者はこういう。「若い研究者が大学から企業に持ち込んでくる研究の分化は、まったくと言っていいほど役に立たない」(アームストロング1998)。これに対してある大学教授は次のように見る。「米国では博士課程を終えたばかりの若者が、最先端の専門知識を産業界にもたらす。大学から企業へ、若者から年長者へと知識が流れる。日本では逆だ。企業内で先輩が新卒を訓練する。年長者から若者へと知識が伝わるわけである。これでは新しいアイデアは出にくいだろう」(フライ1995)

→確かに「新しいアイデア」や「新しい知識の源泉」は若い人であることが多い気がします。陳腐化した知識や情報、現在では通じない自分の成功体験モデルににこだわる年配者、多いし。でも、いずれは今の若者も、今の年配者のようになってしまうんでしょうか。陳腐化した知識や情報、通じない成功体験モデルにこだわるような年配者にはなりたくない。

  • 貿易摩擦への対応に苦慮していた時の通産省は「ただ乗り論」に反論するより、「ただ乗り論」を受けて基礎研究を強化する道を選んだ。傘下の工業技術院に属する研究所に対して、基礎研究を強化するよう、ほとんど強制する。(要約)

8章

  • バイオ産業で始まりつつある新しい関係:大学と大学発ベンチャー、そして大企業が、それぞれの役割を分担している。知の創造(大学)、アントルプルヌールシップによる知の事業化(ベンチャー)、製造と販売(大企業)という分業構造がバイオ産業では定着しそうである。これは今後の産学連携のあり方の1つのモデルとなりえるだろう。

→日本も本当にこういうモデルがとれるようになるのか?

  • 日本企業の海外研究費援助:研究費の一部は博士課程大学院生の人件費にもあてられている→外国人博士を養成している。割り切っているなら構わないが、アジア諸地域の工業的台頭の脅威をしきりに説くようなトップをいただく大企業が、他方で米国大学に研究費を出している。「それでいいんですよね」(要約)

→こういう考え方もあるのかと思った。日本の知財を海外展開して売るのはいいけど、日本の国益にかなうのか、といったらどうなのでしょうか。逆に海外の研究を支援するということはこういうことにもつながるのかと、目からうろこでした。

  • 均質な集団の弱点は変化への対応に表れる。均質で優秀な集団は、特定の環境、特定の価値観への適応において「優秀」だったのである。環境・価値観が変わるとき、均質な集団は対応できない。多様異質な個人や組織の出会いと交流、これだけが、変化への対応(言い換えれば新たな知)を生み出す。「可能な限り異質で多様なものが出会う環境こそが大切です。それが、『クリエイティブな人間がさらにクリエイティブになれる』唯一の条件です」(リップマン、1999)
  • ヨコ型ネットワーク社会では、協力関係において、同じ目的を共有することは少ない。たとえば企業と大学が産学連携するとき、それぞれの組織は設立の目的からしてそもそも違う。違うからこそ協力し合うのである。相手との違いが協力の前提である。得意技を持ち寄るのだから、相手が自分と同じでは、協力する意味がない。
  • 工業社会の協力→「小異を捨てて大同につく」:目的・価値観が同じ、一致団結、垂直統合、クローズド、ピラミッド型、命令ー服従
  • ネットワーク時代の連携→「大異を認めて小同で協力」:目的・価値観が違う、自立分散、水平展開、オープン、ネットワーク型、得意技の持ち寄り

付録E

  • 「起業しようとしている技術者に資金を投資すべきかどうか。最後の決め手はその技術者の顔つきだ。起業にどれほど真剣化。自分の技術とその事業化に自信を持っているか。こういうことは顔に現れる。技術の細部はどうせキャピタリストにはわからない。そもそもよくわからない話だからこそ、ベンチャーを起こす意味があるのだ」(米国西海岸のあるベンチャーキャピタリスト)。

→顔つきですか・・・・やっぱり外見って出ますよね、色々と。気をつけよう。というか、いい顔つきになれるようにもっと勉強してもっと内面に磨きをかけなきゃと思います。

付録F

  • とはいえTLOによって、国立大学の特許処理の透明性は大いに増すだろう。ここに、TLOの存在価値の1つ(決して小さくはない1つ)がある。私はそう考える。

付録G

  • 同時期に私は、大学の外部評価に加わる機会が何度かあった。その経験を通じて、学生が大学にとっていかに大切か、痛感するようになった。大学には学生がいる。その大部分は研究者にはならないし、なりたいとも思っていない。つまり大学教員とはまったく違う価値観の持ち主である。大学教員は、この学生と日常的に接しないわけにはいかない。研究者の世界とは違う、いわば世間の風に、大学教員はいつもさらされている。そのうえ学生は入れ替わる。新有性を通じて、大学には未来からのあ新しい風が吹いている。
  • この観点から、私は大学院大学に反対である。研究者し港の学生の比率が高まり、大学が研究者の集団に近づいてしまうからである。本分第8章の引用をあえて繰り返したい。「可能な限り異質で多様なものが出会う環境こそが大切です。それが、『クリエイティブな人間がさらにクリエイティブになれる』唯一の条件です」(リップマン、1999)

あとがき
おりから欧米の台学革命の波が日本に及び始める。政府や業界団体の委員会などの場で、産学連携がしばしば話題に上った。しかし議論の方向に違和感を感じることが、私にはしばしばあった。日本の大学の欠点を言いつのり、産業界の側には責任がないような議論が少なくなかったのである。
 「それにつけても日本の大学のひどさよ」。何の議論の後でも、この句を下におけばおさまる、そんな雰囲気の会合が時々あった。「何か違う、大学だけを責めてことがすむのか」、私にはそう思えてならなかった。この私の思いを、あるパネル・ディスカッションで述べた。司会の方がこう引き取ってくれた。

 さて、長い長い自分自身へのメモでした。色々と考えさせられることの多かった1冊です。産学連携に携わる人以外にも、研究を続ける人、アカデミアに残る人、大学院生、大学生、本当に色々な人に手を取ってもらいたい一冊です。最後に、上記筆者のあとがきの最後に書かれた一言で締めくくりましょう。

 「こんな大学に誰がした、もう一つ言えば、こんな日本に誰がした」。

 未来に向けて、私たちができることはなんなのでしょうか。現状を嘆くだけではなく、自分と同じ考えの人だけと集う仲良しクラブではなく、はっきりとしたビジョンを形成し、それに向かって、そのビジョンの実現に向かって行動できる力が、求められているのかもしれません。私にできることはなんでしょうか。そう問いかけるだけではなく、実際に行動できる人間でありたいです。