めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

怒られ上手、叱られ上手

 最近、思うのですが私は怒られ上手、叱られ上手なのかもしれません。というか怒りやすい、叱りやすい、のかも。

 私は、「自分を褒める人より叱ってくれる人のほうが貴重だ」と思っています。褒めることは誰にだってできますから。適当に褒めておけば、波風立たないし、相手も嫌な思いもしないし、適当にごまかせますからね。でも、自分のためを思って怒ったり叱ってくれる人って、実は本当に少ないんですよ。怒るのも叱るのも疲れるし、エネルギーを使います。私はそういう貴重な「私のためを思って叱ってくれる人」に随分恵まれてきたと思います。

 まあ、この性格ですので、「気が強い」とか「意見をよく言う」から、勝手に「この人には何を言っても大丈夫」的な空気が出たりするんですけど、それは大いなる誤解です。怒られるのも叱られるのも嫌いです。怒られたり叱られたりしたら、傷つきます、人間だもの。顔は笑って心で泣いてます。

 でもね、へこんでもへこんでも、人知れず枕を濡らしても濡らしても、怒られたから叱られたからその人を恨む、ってことはしませんでした。あ、まあ、恨まなくとも嫌いになることはありますけど、そういう人は自己満足とか、自分の主義主張を他人に押し付けるためだったりとか、自分のいらいら発散のために私を怒鳴り散らしてた感じの人ですね。私のためを思って怒ったり叱ったりしてくれた人は、恨むどころか今では感謝とか尊敬の念しかありません。まあ、「私のためを思って・・・」というのは、あとあとにならないとわからなかったりするんですけどね・・・。

 昨日友達と話していて、「なんていうか、最近怒られたらしょぼーんとして、沈むだけの後輩/先輩/知り合いが結構いる」という話になりました。「なにくそ!!」って思えないよう。同じようなこと、うちの上司も言っていました。これは、怒られる/叱られる側が悪いのか、怒る/叱る側が悪いのか・・・。どっちなんでしょうねえ。

 私自身は、自分が怒られることも叱られることも嫌いだし、それほど人を育てることに対して情熱がもてないので、もーどーとでも、と思って特に後輩には叱ったり怒ったりしません。っていうか、年上の後輩が多いし、色々と面倒くさいんですよね。今実際に研究しているラボは、ヒエラルキーが学年とかラボにいる年月で結構はっきりしているんですけど、それでも年上の人怒ると本人はやはり「コムスメが何をえらそうに」と心のどこかで思うでしょうし。だから叱るとか怒るとかよりも「注意する」って感じですかねえ。まー年上だろうと、「その人が育つ」と思えば、怒ったり叱ったりするのかもしれませんが、なんかそれだけで疲れる気がして、注意するだけです。あーでも、この注意とか指摘だけで、「しょぼーん」としちゃう人は多いですね。そして同じところを何度も何度も指摘しないと直らない*1。そろそろ、「えーっと、何度もいってますよね?」くらい、怒りをあらわにしてよいのだろうか・・・。あー面倒くさい。

 そんな私の行動も「怒られ/叱られ下手」を増やす一因なのかもしれません。。。。

追記:
 よくよく考えてみたら、私、どーでもいい人にはもはや注意も指摘もしないですね。なんか言い訳されても「あ〜そうですか」的な。サジェスチョンも何も全くしない。そういうことにエネルギー使うの無駄、みたいな。なんか、その基準って何なのかなあって色々考えましたがそれはまたいつか。

*1:誤字脱字とか