めごめも!

ひとりと1匹の生活記録。

無駄なことに無駄はない

 ボスのボスのお言葉。そして新職場のエライ人とある意味戦友だったりするのです、ボスのボス。そして名言を出し惜しみしないんだなあ、2人とも。

 私は本当にこのラボにいてよかったなあと昨日は思いました。

 私は、9年も「大学」という場にいました。その間、数え切れない人たちと出会って、数々の「組織」に属してきました。部活が武道系だったがために礼儀作法がうるさく「拝啓・・・」で始まるOBへのお手紙を万年筆で何度もかかされたり、「女の子」であるがために、矛盾のある扱いを受けたり理不尽なこともあったし、厳しいラボと部活の両立にも悩みました。院に入ってからは、封建的なラボだったから、年末年始の年賀状の山に疲れ果てたし、誤字脱字が3つあればその論文は見向きもされないという厳しい指導(厳しい指導て言うのかなあ・・・)もうけたし、修論を締切2週間前にボスに見せたら怒り狂われたり(年末年始を挟んだもので・・・)、修論と初めての学部生指導がかぶったり、パソコン係も気がついたら私1人の役目だったし、私がラボにいるよりももっと前から勤務する秘書さんにたくさん気を使ったり、調査に一緒に行く神経質な調査員の人たちとの関係に悩んだり、もう、「ちょっと私のこの9年って相当すごかったんだよ!!」と1日いや1週間くらい語りつくせるくらい、辛いことも多かったです。

 でも逆に、今でも私の近況を心配してくれて、賞をもらえば一緒に喜んでくれる先輩や後輩に恵まれたし、一緒に今まで頑張ってきてくれた仲間に恵まれたし、ちゃんと評価してくれる上司にも恵まれました。

 私が今の私でいるために、3つのラボでの、部活での、バイトでの、学科での、院での、ボランティアでの、本当にすべてのことが、無駄ではなかった。無駄だと思っていた手紙書きも、先輩への礼儀作法も、この年になって初めて社会に出てみれば「常識」として身につけているべき、絶対必要なことでした。人間関係の悩みも、人との距離をつかむことが苦手な私にとって、これから様々な人たちと出会っていく上でのスキルを磨くために重要でした。誤字脱字がないことも、人を教える立場になって初めて重要性がわかりました。締切を守るという行為も、チームで動くようになって、企画を成功させるために、また一緒に仕事したいと思ってもらうために、重要なことでした。自分のことだけじゃなくてほかに仕事を抱えることも、今の仕事のようにいくつも案件を抱えることになると、兼ね備えていなければならない能力でした。

 本当に、無駄だと思っていたことは無駄じゃなかった。

 ちなみにボスのボスは、旅先の空港での待ち時間、ひたすら葉書をかくそうです。しかも普段会わない人にあてて。「旅先からの葉書をもらって怒る人なんていないでしょ?」「無駄な時間が無限に有意義な時間になるでしょ?」というのがボスのボスの談だそうですが・・・。100人に1人の天才ならそういうことする必要はないんだけどねとボスは嘆いていましたが、100人に1人、いやそれ以上の手腕を持っていたのがボスのボスでした。もしかしたら、そういう人だからこそできたことなのかも知れませんね。

 ともかく、4年半ありがとうございました。私は、このラボにこの年齢でこのタイミングでこの期間、いられたことは奇跡だと思いますが、ある意味必然だったのでしょう。そう思える、中身の濃い4年半でした。